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大阪地方裁判所 昭和58年(行ウ)73号 判決

原告 山口みどり

被告 泉大津労働基準監督署長

訴訟代理人 笠原嘉人 狩野礒雄 外四名

主文

一  被告が昭和五五年九月一一日付で原告に対してした労働者災害補償保険法に基づく休業補償給付を支給しないとの処分を取消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告の兄である若松博(以下「若松」という。)は、昭和五〇年五月から第一警備保障株式会社(以下「訴外会社」という。)に警備員として勤務していたが、昭和五五年二月三日、パトロール車を運転して夜間巡回警備に従事中、同日午後一〇時二〇分ころ、大阪府泉大津市汐見町二一番地先の路上でエンジンをかけたまま停止中の同車内において倒れているところをパトロール中の警察官に発見され、直ちに救急車で岸和田徳州会病院へ搬送され、同病院で入院治療を受けたが、同月二五日、同病院において、脳幹部出血(以下「本件疾病」という。)により死亡した。

2  原告は、若松の妹で、同人の死亡当時、同人と生計を同じくしていたものであり、同人の死亡は業務上の事由によるものであるとして、被告に対し、労働者災害補償保険法一四条、一一条の規定に基づき、前記入院中の休業補償給付を請求したが、被告は、本件疾病は業務に起因することの明らかな疾病とは認められないとして、昭和五五年九月一一日付で休業補償給付をしない旨の決定(以下「本件処分」という。)をした。

3  原告は、右処分を不服として、大阪労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたところ、同審査官は、昭和五六年六月三日、右審査請求を棄却したため、原告は、更に、労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、同審査会は、昭和五八年四月一二日、右再審査請求を棄却する旨の裁決をし、同裁決書は、同年六月七日、原告に送達された。

4  しかし、若松の本件疾病は次のとおり、業務上の事由によるものである。

(一) 若松の労働の実態

(1) 警備作業の内容

若松の業務は、担当地区の警備対象施設約二〇ないし四二箇所を、夜間に(日曜日等休日には昼夜共)一人で巡回して警備作業を行うもので、各施設での警備作業の内容は極めて多岐にわたるが、これを例示すると次のとおりであつた。

〈1〉 扉、窓、シヤツター等の破損箇所の有無及び施錠の有無の点検。

〈2〉 重要機密室の施錠の有無の点検。

〈3〉 金庫及びロツカー等の施錠の有無の点検。

〈4〉 設置された機械類の作動状態を調べる。

〈5〉 各階段、通路、便所等人の潜伏可能場所の点検。

〈6〉 吸がら及び吸がら入れの点検。

〈7〉 冷暖房器具(石油、ガス、電気)の後始末の点検。

〈8〉 電気器具のスイツチの切り忘れ及び過熱の有無の点検。

〈9〉 消火器等の消火設備、警報設備、防火区画、避難設備等の点検。

〈10〉 外部からの侵入に利用されるおそれのある建物の構造等に対する防犯点検。

〈11〉 はしごその他侵入に利用されるおそれのある物の除去に努める。

〈12〉 施設外部に破損箇所のある場合は周辺の検索を徹底する。

〈13〉 変質者、浮浪者等の排除を確実にする。

〈14〉 たき火の跡、ごみ焼却場、その他可燃物の点検。

このほか、巡回中にも会社の管制指令室から異常の発生を知らせる緊急指令があつたときは、直ちに当該場所へ急行し、所要の作業や警察等への連絡等を行なう。したがつて、巡回中にもいつ緊急指令が入るかわからないので、常時受信、これに即応できる態勢にあることが要求される。更に、巡回のため、施設から施設への移動は車両によるが、一日の車両走行距離は、平均約一〇〇ないし二六五キロメートルに及ぶ。このように夜間、無人の場所を一人で巡回し、前記の如き監視・点検等をなす警備作業は、常時張りつめた神経と極度の精神の緊張を伴うものであつた。

(2) 勤務形態(昭和五五年一月二〇日までのもの。以下「旧勤務形態」という。)

〈1〉 泉大津市、岸和田市及び和泉市の各市内、市外地区(以下「市内・市外地区」という。)警備

警備対象施設は二〇箇所。勤務(拘束)時間帯は午後五時から翌朝八時まで(この間仮眠時間は午前零時から午前六時まで)。巡回車両走行距離は一勤務平均一〇〇キロメートル。

〈2〉 汐見地区警備

警備対象施設は二二箇所。勤務(拘束)時間帯は午後五時から翌朝八時まで(この間仮眠時間は午前零時から午前六時まで)。巡回車両走行距離は一勤務平均六〇キロメートル。

〈3〉 両地区深夜警備

警備対象施設は右〈1〉〈2〉の合計四二箇所。勤務(拘束)時間帯は午前零時から翌朝六時まで(すなわち、〈1〉〈2〉の勤務者の仮眠時間中に右〈1〉〈2〉の両地区全部を巡回警備する。)。

右〈1〉〈2〉〈3〉がそれぞれ一勤務単位とされ、〈1〉〈2〉〈3〉に各一名の警備員が配置され、計三名で夜間警備に当たつていた。すなわち、午後五時から翌朝八時までの間、A警備員は〈1〉地区で、B警備員は〈2〉地区で各巡回警備にあたり、C警備員は〈3〉勤務に就きABの仮眠時間である午前零時から午前六時までの間〈1〉〈2〉の両地区を警備することになる。但し、日曜、祭日など休日の場合は、ABC各警備員の勤務・拘束時間は、前日(日曜の場合は土曜)の午後五時から翌日(月曜)の午前八時までの連続三九時間となり、その間〈1〉〈2〉〈3〉のいずれか、またはこれらを合わせた勤務に就き、一勤務で実働二七時間またはこれを超えることもしばしばであつた。なお、若松の休日は週一回木曜日と定められていたが、人手不足のためにこれも必ずしも守られていなかつた。

ところで、前記〈1〉〈2〉〈3〉が会社での所定の勤務体制であつたが、実際にはこれが遵守されず、所定時間をはるかに超える長時間勤務が強いられていた。例えば、日曜日の場合など、前記のとおり土曜から月曜日にかけて前後三日間にわたり連続拘束三九時間、実働二七時間、ときにはこれを超えて三三時間、しかも、このうち仮眠なしの連続勤務が三一時間に及ぶこともあつた。更に、若松が被災する約一か月前などは、五日間にわたり実に連続拘束八七時間、このうち実働六三時間といく驚くべき長時間労働がなされている。なお、〈1〉〈2〉勤務の場合一応仮眠時間はあるが、仮眠時間とはいえ、その間も管制指令室からいつ緊急指令で起こされるかもしれないので、完全な休息や睡眠はとれない。

(3) 勤務形態の変更による労働強化(昭和五五年一月二一日以降のもの。以下「新勤務形態」という。)

若松が被災した昭和五五年二月三日の直前である同年一月二一日から旧勤務形態が変更され、著しい労働強化がなされた。すなわち、従前は前記(2)の〈1〉〈2〉〈3〉の勤務に各一名が配置され計三名で警備に当つていたが、以後は〈1〉〈2〉〈3〉の勤務を全部一名で担当することになつた。その結果、仮眠時間はまつたくなくなり、所定の午後五時から午前八時まで全部が実働時間となり、警備対象施設も〈1〉〈2〉の合計四二箇所と倍増した。これにより一勤務の巡回車両走行距離も平均二六五キロメートルに急増した。従来三人でしていた作業全部を一人で担当することになり、一挙に三倍の労働強化となつた。更に、この新勤務形態での日曜日をはさんだ労働時間をみると、三日間にわたり仮眠時間もなしに昼夜連続三九時間もの実働がなされている。これらはあまりにも過酷な勤務であり、睡眠不足と過労の蓄積は絶対に避けられないところである。

(4) 夜勤による健康障害

夜勤が人間の生体リズムを狂わせ、睡眠不足と食欲不振、過労の蓄積等から種々の疾患を誘発することは労働衛生学上もすでに実証されているところである。そして、日本産業衛生学会交代勤務委員会の「夜勤・交代制勤務に関する意見書」によれば、夜勤・交代勤務において、健康障害をできるだけ少なくするには、次の点に留意すべきであるとされている。

〈1〉 一週間の平均労働時間は四〇時間を限度とし、その平均算出期間は二週間とし、残業は原則として禁止する。やむをえない場合でも、残業は年間一五〇時間以下にすべきである。

〈2〉 深夜労働を含む勤務では、勤務時間内の仮眠休養時間を拘束八時間について少なくとも連続二時間以上確保することが望まれる。

〈3〉 深夜勤務は、原則として毎回一晩のみにとどめるべきである。身体的もしくは精神的負担の著しい勤務では、深夜勤務の連続を禁じなければならない。また、月間の深夜業を含む勤務回数は、八回以下とすべきである。

しかるに、訴外会社における若松の夜勤、長時間労働の実態は、前叙のとおりであり、右の要請から甚だしくかけ離れていたものであり、睡眠不足と相俟つて疲労を蓄積させるものであつた。

(二) 若松は、訴外会社に入社後、昭和五二年ころに高血圧症が発症した。高血圧症は、遺伝や体質的素因だけに規定されるものではなく、その五〇パーセントが生活環境要因の影響を受けるものであるところ、若松が従事していた警備作業は、前叙のとおり、夜間、無人の場所を二〇ないし四二箇所、車両で移動しながら一人で巡回するもので、常時張りつめた神経と極度の精神の緊張を伴うものであるうえ、長時間労働と睡眠不足によつて蓄積疲労をもたらすものであつた。また、車両の乗降が頻繁であり、冬は暖房した車内と外気の温度差が大きい(若松の被災当日は、真冬の夜一〇時ころで、右のような温度差はかなり激しかつた。)から、高血圧の者にとつて、身体を急に寒冷にさらすことは脳出血の引き金になる危険が極めて大きい。このように、若松の従事していた警備作業は、それ自体、高血圧の者にとつて有害かつ危険な業務であつた。

(三) 訴外会社の健康管理、安全配慮の欠如等

(1) 訴外会社は、若松らに前叙のような過酷な勤務をさせながら、法定の定期健康診断を全く行わず、従業員の健康管理を著しく怠つていた。訴外会社が定期健康診断を行つていれば、若松の高血圧を把握し、同人を昼間勤務か巡回警備でない常駐警備作業に配置転換するなどの措置をとりえたものである。一方、若松においても、前叙のような過密な勤務体制の中では、昼間は睡眠をとることに努めねばならず、医師の十分な診療を受ける時間的余裕がなかつた。

(2) 若松は、前叙のとおり、一人勤務であつたが、警備作業、殊に夜間の警備は本来危険を伴い、何時警備途上で事故に遭うかもしれない性質のものであるから、常時一人で警備につかせるのは安全管理上も適切でない。若松が複数の者で警備に当つていたなら、パトロール車の中で倒れても直ちに発見されて病院へ搬送され、死亡という事態を避けられたかもしれないのである。

(四) 被告は、もつぱら従来の行政解釈を根拠にして、脳出血などの場合にはアクシデントの存在が必要である旨主張している(アクシデント主義)が、このような見解は、過度の長時間労働や過重な労働が常態化、又は恒常化して慢性的な過労の蓄積等によつて発症もしくは疾病の増悪を招いた場合を労災補償の対象外としてしまい不合理である。そして、脳出血や心臓死が過労の蓄積などによつてより多く誘発されるものであること、労災保険法がすぐれて労働保護法であることに徴すれば、当該疾病、死亡が次のいずれかに該当すれば、その業務起因性を肯定できるというべきである。すなわち、

〈1〉 アクシデントがあればもちろん、アクシデントがない場合にも、精神的、肉体的過重な業務の継続による疲労の蓄積があるとみられる場合。

〈2〉 業務の遂行が当該疾病の唯一の原因でなくとも、それが他の基礎疾病や素因と競合もしくは共働して当該疾病の原因となつているとみられる場合。

〈3〉 当該業務がそれ自体、当該疾病に悪影響を与える性質のものである場合。

〈4〉 基礎疾病もしくは既存疾病を有する労働者に対する使用者の健康管理義務が尽されておらず、これが当該疾病の増悪を招いたとみられる場合。

若松の本件疾病は、前記(一)ないし(三)の諸点に照らせば右〈1〉ないし〈4〉のいずれの点にも該当するものである。

5  以上のとおり、若松の本件疾病は、業務遂行中に業務に起因して発生したものであるから、業務上の事由によるものと判断されるべきであり、同人の死亡に至るまでの休業補償がなされるべきである。

よつて、若松の本件疾病が業務上の事由によるものでないとしてした被告の本件処分は違法であるから、その取消を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1ないし3の事実は認める。

2  (一) 同4の(一)の(1)の事実のうち、若松の従事していた警備作業の内容が、夜間一人で警備先事業場を巡回し、各警備先で施錠、ガスの元栓、タバコの灰皿、荷くずれ、車のキーの抜き忘れ等異常の有無を点検監視する作業であつたことは認めるが、その余の事実は知らない。

(二) 同4の(一)の(2)の事実のうち、旧勤務形態における警備地区及び勤務時間帯、昭和五四年一二月二九日から翌年一月二日まで拘束八七時間に及ぶ連続勤務がなされたことは認めるが、その余の事実は知らない。

(三) 同4の(一)の(3)の事実のうち、昭和五五年一月二一日から勤務形態が変更されたこと、新勤務形態における若松の担当地区及び勤務時間は認めるが、その余の事実は知らない。

(四) 同4の(一)の(4)の事実は知らない。

(五) 同4の(二)の事実のうち、若松が、昭和五二年ころ、高血圧症であつたことは認めるが、その余の事実は知らない。

(六) 同4の(三)の事実は否認する。

(七) 同4の(四)の主張は争う。

3  同5の主張は争う。

三  被告の主張

1  若松は、本件疾病の約三年前である昭和五二年四月二二日、既に、最高血圧二一〇mmHg(ミリ水銀圧)、最低血圧一三〇mmHgの本態性高血圧症にあつたが、昭和五四年五月二三日から同年一二月二二日まで、平山胃腸科内科において、高血圧兼冠不全、肝腫脹、慢性胃炎の診断を受けている。本態性高血圧症は、その発症原因が明らかでないが、臓器に病気があつて起きる二次性高血圧症と異なり、遺伝的素因が重視されており、遺伝性疾患の一つであると考えられている(ちなみに、若松の場合も、自営の菓子屋を営んでいた同人の実兄が、若松と同年齢で高血圧症により死亡している。)このような本態性高血圧という基礎疾病を有する者が業務遂行中に脳出血を起こした場合、当該業務が脳出血を起こす直前において急激な身体的努力、精神的緊張等短時間内に身体を加害するようなものであつたとき(アクシデントの存在)に限り、業務と疾病との間に相当因果関係、すなわち業務起因性が認められるものである。ところで、アクシデントの概念は、労働者の一般疾病(感冒、脳出血、胃病、ノイローゼ等)を際限なく業務上の疾病とすることがないよう妥当な限界を画する手段として重要な意味を有する。その不存在の場合にまで安易に労災給付の対象を拡張することは、事業主の負担する保険料を原資とする労災保険制度(一部国庫補助も存する。)の財産的基盤に深刻な打撃を与えることになり、厳に戒められるべきことである。

2  本件疾病の直前における若松の業務の内容は、次のとおりであり、前記のアクシデントは存在しなかつたのである。

(一) 若松の平素の職務内容と勤務時間

(1) 若松は、昭和五〇年五月三一日から、訴外会社において、夜間のパトロール警備員として就労していたが、その業務内容は、自己の受持地区であつた汐見地区、府営二〇号上屋ほか一三の客先事業場をパトロール車で回り、対象施設における盗難、火災等による被害の未然防止と被害の極少化を図るものであつた。

(2) 旧勤務形態は、午後五時に出勤し、午前零時までの間に概ね二回、時として三回、汐見地区又は、市内・市外地区を巡回し、第一回巡回時は降車して客先に立ち入り、施錠、ガス元栓、タバコの灰皿、荷くずれ、車のキーの抜き忘れの有無等保安整備のため二時間ないし二時間三〇分を要するが、第二回以降の巡回所要時間は、各三〇分ないし六〇分で、大半の客先では乗車したままの警備であり、午後一一時三〇分ころには巡回を終えて、午前零時以降翌日午前六時まで仮眠し、午前八時までの間は報告書提出等のため客先に赴くなどした後に退勤していた。新勤務形態は、勤務時間が午後五時から翌朝八時まで連続勤務となり、翌日は公休日となる隔日勤務となつた。また、受持地区は、汐見地区、市内・市外地区の全域となり、右全域を概ね四回、時として五回巡回していたが、一回目は四時間三〇分を要し、二回目以降は一時間四〇分位であつた。

(二) 発病当日(昭和五五年二月三日)の若松の勤務内容

若松は、当日が日曜日であつたため、従前の慣行に従い、午前八時に出勤し、午前九時三〇分から午後一一時三〇分まで、汐見地区、市内・市外地区の客先事業場を巡回し、本部詰所において午後零時三〇分に昼食をとり、午後一時三〇分ころから午後三時三〇分まで二回目の巡回をした後、三回目は午後六時から午後七時五〇分ころまで汐見地区及び市内の関西帆布、アリタ(株)の点検・巡回パトロールをして午後八時三〇分、汐見詰所(泉大津市汐見町府営二号上屋)において夕食をとり、四回目は午後九時ころから午後一〇時まで汐見地区パトロールをし、午後一〇時二〇分ころから市内地区パトロールのため関西帆布へ向う途中、車内で発病した。

(三) 若松の発病までの就労状況

若松の発病前六か月間における就労状況は、別表(一)ないし(四)記載のとおりである。右期間中、午前零時から翌朝八時までの深夜勤務は、昭和五四年一〇月一四日、昭和五五年一月六日の両日のみであり、午前零時から翌朝六時までの仮眠のない勤務は、昭和五四年一〇月七日、同月一〇日、同年一一月二日、同年一二月五日、昭和五五年一月二〇日の五日間である。日曜日、祭日で午前八時から翌日午前八時にかけての勤務は、昭和五四年八月分四日間、同年九月分三日間、同年一〇月分四日間、同年一一月分四日間、同年一二月分三日間、昭和五五年一月分七日間である。

新勤務形態によると、昭和五五年一月二一日以降隔日勤務となり、勤務時間は、午後五時から翌朝八時までの連続勤務となつている。しかし、この勤務形態も隔日勤務であるため、通常勤務明けから次の勤務につくまでの三三時間という休息ないし自由時間が確保されているのであるから、若松に過大な負荷があつたとはいえない。

若松は、昭和五五年一月二七日(月曜日)は前日から引き続き二四時間勤務についているが、この勤務は多少の寝不足感を与えたことは推測されるものの、拘束時間中、間断なく巡回するものではないから、それが過大な負荷となつたとはいえない。また、新勤務形態の下で、一月二六日から同月二八日朝にかけての連続勤務によつて、若松には睡眠不足があつたと認められるにしても、同人は、同月二九日午前八時から三一日午後五時まで公休を含め五七時間の休息時間ないし自由時間をとり、更に、一月三一日は連続勤務というものの午前零時から午前六時まで仮眠していた事実があり、加えて、二月二日も公休であつた。したがつて、このような就労状況では、多少の睡眠不足があつたとしても、それが直ちに血圧上昇をもたらす程のものであつたとはいえない。

また、巡回警備は、犯罪の捜査や犯人の追跡、逮捕を目的とするものではなく、特段の危険が伴うものでもないから、相当期間経験を有する者にとつて、殊更に精神的緊張が伴うとは考えられず、寒冷暴露についても、防寒服を着用することによつてこれを防ぐことが可能である。

3  以上のとおり、若松の本件疾病は、既往の高血圧症が自然経過により増悪し、偶々、業務遂行中に発症したものであり、業務と本件疾病との間に相当因果関係があつたとはいえないから、本件処分は適法なものというべきである。

四  被告の主張に対する原告の認否

1  被告主張の1の事実のうち、若松が昭和五二年ころ高血圧症であつたことは認めるが、その余の事実は否認する。

昭和五四年に若松が平山胃腸科内科医院で受診した際の病名は、保険請求の便宜上つけられたものにすぎず、同人が冠不全、肝腫脹、慢性胃炎に罹患した事実はない。

2  (一) 被告主張の2の(一)の(1)の事実のうち、若松が昭和五〇年五月三一日から訴外会社において、夜間のパトロール警備員として就労していたこと、その職務内容が被告の主張するようなものであつたことは認めるが、その余の事実は知らない。

(二) 同2の(一)の(2)の事実のうち、旧勤務形態の出勤時刻及び午前零時から午前六時まで仮眠時間があつたこと、新勤務形態は、仮眠時間をなくし、翌日を公休日とする隔日勤務となつたこと、勤務時間が午後五時から翌朝八時まで連続勤務となり、受持地区が汐見地区、市内・市外地区の全域となつたことは認めるがその余の事実は知らない。

(三) 同2の(二)の事実のうち、若松の発病当日が日曜日であつたこと、同人がパトロール車内で発病したことは認めるがその余の事実は知らない。

(四) 同2の(三)の事実は否認する。

第三証拠〈省略〉

理由

一  請求原因1ないし3の事実は当事者間に争いがない。

二  本件疾病が業務に起因するものか否かを判断するについて、まず若松の本件疾病に至るまでの稼働状況等を検討する。

成立に争いのない甲第三、第六、第九号証、第一一ないし第一三号証、第一七、第一八号証、乙第一、第二、第六、第一三号証、証人手束[言恵]一郎の証言により真正に成立したものと認められる甲第五、第七、第一〇号証、証人足立七郎の証言により真正に成立したものと認められる甲第二〇号証 弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第八号証(但し、後記措信しない部分を除く。)、第一四、第一五号証(但し、第一五号証については、後記措信しない部分を除く。)、第一七号証の二、三、第一八号証、証人手束[言恵]一郎、同竹原広記、同玉川勤、同山口久之、同白井嘉門及び同足立七郎の各証言(但し、証人手束[言恵]一郎、同竹原広記及び同白井嘉門の各証言中後記措信しない部分を除く。)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

1  若松は、昭和一六年三月一七日生れで、本件疾病が発症した昭和五五年二月三日当時は三八歳であつたが、それまでは結婚歴がなく、独身で、右時期当時は妹である原告夫婦の近所にアパートを借りて住んでいた。そして、若松は、一八歳ころから働き始め、二・三度転職した後、昭和五〇年五月末ころから訴外会社において警備員として働き(この点は、当事者間に争いがない。)、原告方で朝夕の食事の世話になりながら、仕事に精勤していた。

2  昭和五五年一月二〇日までの勤務形態(旧勤務形態)

(一)  旧勤務形態当時は、若松外二名が一グループとなつて、〈1〉泉大津市、岸和田市及び和泉市の各市内・市外地区(市内・市外地区)、〈2〉泉大津市汐見地区、〈3〉右〈1〉〈2〉両地区深夜警備を受持ち、〈1〉〈2〉の両地区に各一名の警備員が配置され、その拘束時間である午後五時から翌朝八時までの間に、午前零時から午前六時までの仮眠時間があり、その仮眠時間中に残る一名が右〈1〉〈2〉両地区の深夜警備に当つていた(右事実のうち、警備地区及び警備時間帯は当事者間に争いがない。)。若松は、当時、主として〈1〉又は〈2〉地区を担当し、土曜日や日曜日、祭日(以下まとめて「日曜日等」という。)を除き、深夜警備を行つていなかつたが、日曜日等には、昭和五四年一〇月以降、深夜警備を毎月一・二回の割合で、昼間(午前八時から午後五時まで)の警備を毎月二・三回の割合でそれぞれ担当していた。そこで、右期間中の日曜日等において、毎月ほぼ三回ないし四回の割合で、深夜警備又は昼間警備を含め、労働時間が連続一五時間ないし二四時間に及ぶ長時間労働に従事し、昭和五四年一二月二九日から翌五五年一月二日までは拘束八七時間に及ぶ連続勤務に就いていた(右八七時間の連続勤務の事実は当事者間に争いがない。)。また、若松の週休日は木曜日と定められていたが、人手不足のためにその定めが必ずしも守られていなかつた。

(二)  もつとも、若松が日曜日等に担当していた深夜警備は、市内・市外地区及び汐見地区の各対象施設合計四二箇所を、午前零時から午前六時まで、一人で二回ないし三回巡回するものであり、一回の巡回に要する時間は約一時間三〇分であつたが、先の勤務者から事故報告のあつた所を除き、大概、警備車に乗車したまま巡回することが多かつた。

(三)  警備作業における着眼点は、次のとおりであつた。

〈1〉 扉、窓、シヤツター等の破損箇所の有無及び施錠の有無の点検。

〈2〉 重要機密室の施錠の有無の点検。

〈3〉 金庫及びロツカー等の施錠の有無の点検。

〈4〉 設置された機械類の作動状態を調べる。

〈5〉 各階段、通路、便所等人の潜伏可能場所の点検。

〈6〉 吸がら及び吸がら入れの点検。

〈7〉 冷暖房器具(石油、ガス、電気)の後始末の点検。

〈8〉 電気器具のスイツチの切り忘れ及び過熱の有無の点検。

〈9〉 消火器等の消火設備、警報設備、防火区画、避難設備等の点検。

〈10〉 外部からの侵入に利用されるおそれのある建物の構造等に対する防犯点検。

〈11〉 はしごその他侵入に利用されるおそれのある物の除去に努める。

〈12〉 施設外部に破損箇所のある場合は周辺の検索を徹底する。

〈13〉 変質者、浮浪者等の排除を確実にする。

〈14〉 たき火の跡、ごみ焼却場、その他可燃物の点検。

以上要するに、若松が従事していた警備作業は、担当地区の対象施設を車両で巡回し、対象施設における盗難、火災等による被害の未然防止と被害の極小化を図るものであつた。そして、このような業務を夜間に一人で担当するものであつたため、倉庫、工場内部の点検や盗難、火災等の信号による緊急指令に基づく点検の場合においては、かなりの恐怖感、緊張感を強いられるものであつた(右事実のうち、警備作業の内容が、各警備先での施錠、ガスの元栓等の異常の有無の点検、監視であつたこと、このような業務を夜間一人で担当するものであつたことは当事者間に争いがない。)。

(四)  次に、巡回対象施設は、前記(一)の〈1〉地区が二〇箇所、〈2〉地区が二二箇所、〈3〉の深夜警備が右の〈1〉と〈2〉の合計四二箇所であり、右〈1〉及び〈2〉地区においては、午後五時三〇分ころから約二時間ないし二時間三〇分前後を要する定時巡回(対象施設との契約により勤務表に指定され、平均二時間毎に該施設を巡回するもの。)を、午後九時前後ころから、又は時によつては、午後一一時前後ころから約三、四〇分ないし一時間を要する臨時巡回(対象施設が残業などをしているため定時巡回を行うことができない場合など、後に随時行うもの。)及び保安巡回をそれぞれ行い、午前零時ころから翌朝六時まで仮眠時間をとり、翌朝六時ころから約一時間三〇分ないし二時間を要する最終巡回を行い、結局、午後五時から翌朝八時まで、合計三回ないし四回の巡回を行つていた。そして、一回目及び最後の巡回は、いずれも車両から降りて対象施設の内外を点検するものであつたが、二回目以降の巡回においては、車両からの乗降回数も減少し、車内にいたまま点検することが多かつた。そして、一晩で、車両からの乗降回数は八〇回を超え、車両の走行距離は、市内・市外地区が約一〇〇キロメートル、汐見地区が約六〇キロメートル、深夜警備が約一一〇キロメートルであつた。勤務時間中は定められた休憩時間はなく、適宜、休憩をとり、また、午前零時から午前六時までの仮眠時間中は、府営上屋の詰所において仮眠をとつていたが、同所は、書庫を借りて仮眠用のベットを三台入れた広さ二四平方メートルの部屋で、三名が同時に仮眠するようにしてあつたが、付近で積荷作業をしたトラツクの走行音が聞こえたり、野犬の鳴声がしたりするなどで熟睡はできず、更に、仮眠中に入る緊急指令によつて睡眠が妨げられることもあつた。緊急指令は、一晩に数回あり、午前零時から午前六時までの間は、深夜警備に就いている者と協力して緊急事態の処理に当ることがあつた。

3  昭和五五年一月二一日からは旧勤務形態が変更された。新勤務形態においては、午後五時から翌日午前零時まで、二名で市内・市外地区及び汐見地区を担当し、その内の一名が、仮眠なしで深夜警備に当り、他の一名は従前と同様に仮眠を取ることにし、仮眠を取らなかつた者は勤務明けの午前八時から翌日の午後五時までが公休になり、これを二週間おきに交代するというものであつた。若松は、新勤務形態の当初から仮眠のない方の業務につき、しかも、他の一名の差支えにより、市内・市外地区及び汐見地区を午後五時から、大概、一人で担当し、その結果、勤務明けから次の勤務までの間に三三時間の公休があつたが、警備対象施設は四二箇所と倍増し、労働時間は午後五時から翌朝八時まで連続一五時間となり、殊に、同年一月二六日から同月二八日にかけての労働時間は、連続三九時間にも及び、その走行距離は一夜平均二六五キロメートルに達していた。また、巡回に要する時間も、一回目が約五時間、時には七・八時間を要するようになり、二回目には約二時間を、最終回には約三時間を要することになつた。(右事実のうち、昭和五五年一月二一日から勤務形態が変更されたこと、新勤務形態における若松の担当地区及び勤務時間帯は当事者間に争いがない。)。このような勤務形態の下で、若松は、昭和五四年末ころから昭和五五年一月ころにかけて職場で同僚に対してしばしば「頭が痛い」とか「疲れる」とか口にしていた。

4  若松は、昭和五五年二月三日午前八時に出勤し、午前九時三〇分から午前一一時三〇分まで一人で車を運転して市内・市外地区を巡回し、午後零時三〇分に本部詰所で昼食し、午後一時三〇分から午後三時二〇分まで汐見地区を巡回し、午後六時から午後八時まで汐見地区を巡回し、午後八時三〇分に汐見詰所で夕食をした後、午後九時三〇分に第四回目の巡回に出発し、警備業務に従事中同日午後一〇時二〇分ころまでに運転していたパトロール車内において本件疾病が発症した。

5  一般に深夜業(午後九時から翌朝六時まで)は、人間の生体リズムを狂わせ、睡眠不足と食欲不振、過労の蓄積等により種々の疾患を誘発し易いため、昭和五三年五月二九日、日本産業衛生学会交代勤務委員会により労働省に提出された「夜勤・交代制勤務に関する意見書」においては、深夜業を含む週労働時間は四〇時間、一日労働時間は八時間を各限度とし、作業時間中に休憩を適切にとり入れ、拘束八時間について少くとも連続二時間以上の仮眠休養時間を確保するようにし、また、深夜業は原則として毎回一晩、やむをえない場合も二晩ないし三晩の連続にとどめ、月間の深夜業を含む勤務回数は八回以下にすべきである旨の提言がなされている。

以上の事実が認められ、証人手束[言恵]一郎、同竹原広記及び同白井嘉門の各証言並びに乙第八、第一五号証の各記載中右認定に反する部分は、容易に措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定事実によると、若松は、訴外会社において長時間継続的に深夜業務に従事し、旧勤務形態のもとでは午前零時から午前六時までの仮眠時間が設けられていたものの、仮眠場所が不完全な施設で、周辺の環境や緊急指令等により十分な睡眠をとることができない状態で勤務を続け、日曜日等は連続一五時間以上、時には八七時間に及ぶ勤務に就いていたうえ、本件疾病発症の二週間前の昭和五五年一月二一日からの新勤務形態下では、勤務日の翌日は公休とされてはいたけれども、午後五時から翌朝午前八時まで連続一五時間の長時間、仮眠もしないで勤務に就き、殊に、同月二六日から同月二八日までは連続三九時間にわたる勤務を続け、また、その勤務内容も深夜一人で車を運転して四二箇所の担当箇所を巡回し、一夜に八〇回以上車を乗降して人気のない工場、倉庫等の施設の点検等の警備業務を行うというもので、その勤務時間、勤務形態、作業内容等からみて、若松は、相当過酷な勤務条件の下で長時間就労した結果、本件疾病の発症当時、睡眠不足と精神的ストレスによる肉体的、精神的疲労が蓄積していたものと認めるのが相当である。

三  次に、若松が昭和五二年ころから高血圧症に罹患していたことは当事者間に争いがないところ、これに併せ、前掲甲第二〇号証、乙第二号証、成立に争いのない甲第二七号証の二、乙第二五ないし第三〇号証、証人玉川勤の証言により真正に成立したものと認められる甲第二一号証並びに証人手束[言恵]一郎及び同竹原広記、同玉川勤、同足立七郎、同白井嘉門の各証言を総合すれば、次の事実が認められる。

1  若松は、昭和五二年四月ころから同年一一月ころまで、血尿、あるいは上腕動脈損傷などにより、三つの病院で治療を受けた際、最高血圧が二〇〇mmHg(ミリ水銀圧、以下数値のみ示す。)前後、最低血圧が一一〇前後であつたが、昭和五四年五月ころにも、高血圧兼冠不全等の病名で診察を受けた際、最高血圧二〇〇、最低血圧一〇〇であり、いずれも投薬又は入院治療により、やや血圧が下降していた。そして、本件疾病が発症し、搬入された岸和田徳州会病院においては、最高血圧一八〇、最低血圧一一〇であつた。若松は、このような高血圧症の診断を受けていたにもかかわらず、その治療にさ程の熱意を示さず、他の疾病による治療に併せて高血圧症の治療を受ける程度に留まつていたが、同人の高血圧症は、投薬治療によく反応して血圧が下降するものであつて、同人の血管は未だ弾力性を失つてはおらず、病期分類でいえば、血管系等に動脈硬化等の器質的変化を伴わない第一期の症状であつた。また、若松は他に特別の疾患がなく、三五・六歳という年齢で既に高い数値の高血圧症を発症していたうえ、同人の実兄である若松登も、三九歳の年齢で高血圧症等により死亡しているところから、若松の高血圧症は、本態性高血圧症であつて、遺伝、体質がその要因となつていると考えられる。

2  一般に、高血圧症の発症や増悪は、遺伝や体質だけをその要因とするものではなく、労働その他の生活環境にも規定されるものであつて、過労、精神的ストレス、冬期の急激な気温の変化等にも強く影響されるのであり、深夜労働によつて昼夜を逆転する生活を送ることは生体のリズムのバランスを失わせるため、高血圧症に罹患している者は深夜業務に就くことが不適当とされている。

3  ところで、若松は、右のような高血圧症に罹患していたにもかかわらず、これを訴外会社に申し出ず、訴外会社においても、定期健康診断を行つていなかつたため、若松の疾病、身体状況を全く把握しておらず、職務体制上、若松の疾病に応じた業務内容の軽減、配置転換等の配慮は一切されていなかつた。

以上の事実が認められ、右認定に反する乙第八、第一二号証の各記載部分は容易に採用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定の事実によると、若松は、本件疾病の発症当時その原因となる本態性高血圧という基礎疾病を有していたもので、本件疾病は右基礎疾病が増悪した結果生じたものであることが認められる。

四  被告は、本態性高血圧という基礎疾病を有する者が業務遂行中に脳出血を起こした場合、当該業務が右発症直前において急激な身体的努力、精神的緊張等短時間内に身体を加害するようなものであつたといういわゆるアクシデントの存在するときに限り、業務と疾病との間に相当因果関係を認めるべきであるところ、本件においては、右アクシデントが認められないから、本件疾病は、本態性高血圧という基礎疾病が自然増悪した結果であり、業務起因性を認めることはできない旨主張する。

しかしながら、労働基準法七五条の「業務上負傷し、又は疾病にかかつた場合」とか、同法施行規則別表第一の二、第三五条関係第九号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」とかは、いずれも業務と疾病との間に相当因果関係が存在することが必要であることを規定したにとどまり、疾病が業務遂行を唯一の原因とすることまで必要とする趣旨のものではない。業務遂行中発症した疾病が基礎疾病を原因とする場合でも、当該業務が基礎疾病と共同原因となつて基礎疾病を増悪させ、その結果発症に至つたと認められる場合には、やはり右発症の業務起因性が肯定されるべきであつて、被告のいういわゆるアクシデントの存在は、かかる業務と疾病との相当因果関係の存否を判定するに際して考慮に入れるべき要素の一つであるとはいえても、かかるアクシデントの存在が相当因果関係認定に不可欠なものとまでいうことはできない。これを本件についてみれば、前記二、三で認定したところによると、若松は、本件疾病の発症前から本態性高血圧症に羅患し、遺伝、体質がその要因となつているものであつたが、右高血圧症は血管系等に動脈硬化等の器質的変化を伴わない第一期の症状であつたうえ、一般に高血圧の増悪は、過労、精神的ストレス、冬期の急激な気温の変化等の労働その他の生活環境にも規定されるもので、高血圧症に罹患している者は深夜業務に就くことは不適当とされているにもかかわらず、訴外会社においては、従業員の健康診断を行わず、若松の身体的状況を全く把握しないまま、若松の症状に適した職務内容とするなどの配慮を一切しなかつた結果、若松は、相当過酷な勤務条件の下で長期間継続的に深夜の警備業務に従事し、本件疾病発症当時には、睡眠不足と精神的ストレスによる肉体的、精神的疲労が蓄積しており、しかも当時は冬期で、ヒーターの入つている自動車と車外との温度差が相当大きいのに、一夜に八〇回以上も乗降して急激な気温の変化にさらされる警備業務を遂行していたのであるから、これらの事実を総合考慮すると、若松が本件疾病を発症したのは、同人の基礎疾病がその一因をなしているとはいえ、これに同人の右業務が共同して、単なる基礎疾患の自然的経過による増悪を著しく超えて、その症状を急激に増悪させ、病状の進行をはやめた結果によるものと認めるのが相当である。

証人白井嘉門の証言中右認定に反する部分は容易に採用することができず、他に右認定を左右できる証拠は存しない。

したがつて、若松の業務と本件疾病との間には相当因果関係があるもので、本件疾病には業務起因性を認めることができるというべきであるから、若松の本件疾病が業務上の事由によるものでないとしてした被告の本件処分は違法というほかはない。

五  よつて、原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山本矩夫 喜如嘉貢 高橋正)

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